カメラを止めるな 初見感想ネタバレあり

ネタバレに怯えて過ごす日々も金曜ロードショーにより終わりが来ました。

蓋を開けてみればネタバレがテーマの作品でありました。

映画を作るにあたり、なくてはならない観測者としてのカメラ。これを観る人が意識することはあまりないであろう。カメラは空気のような存在であり、演者もそれがないものとして振る舞う。映画の世界ではそれは存在しないものであり、従って演者が目線をくれることも原則としてない。

冒頭、それは確かに空気としてのカメラだった(Aとする)。視聴者に物語を伝える役目としてのカメラ。それが伝える物語はゾンビの話のようだった。カメラAは確かにその物語の主人公を捉えた、メインのカメラであるはずだった。しかし、突然入るカット。物語の舞台は実はゾンビ映画の撮影現場だったということになる。

ここで既におかしなことが起こっていることに気づいただろうか。カメラAはゾンビの映画を捉えていたはずの真のカメラBを映し始めたのである(Bのカメラマンはのちにゾンビになる酔っぱらい)。冒頭のショットはなんだったのだろうか。このときカメラBはいったいどのアングルで撮っていたのだろう?最適な画は今となっては映画撮影現場の物語を捉えているAが撮っていたはずである。Aは作品上存在しないはずなので、BとAは重なっており、カットの瞬間分離したと考えることもできなくはない。

しかし作品上、監督が再び戻ってきたシーンで違和感は確信に変わる。カメラAを指差し、その存在をほのめかした。他の演者が意識していないはずのカメラAを、監督だけが意識しているのである。この時点で、カットのあとのシーンも演技であることがほぼ確定した。この作品上、カメラAは存在する。ワンカットシーンの途中でカメラマンが切り替わることをほのめかす演出があるもこのことを裏付けている。

存在するカメラはもはや視聴者に物語を伝えるカメラではなく、それはこのワンカットシーン自体が作品中の作品であることをほのめかす。実際、冒頭の約40分間は、ONE CUT OF THE DEAD という作品中作品であった。

映画の後半は、この ONE CUT OF THE DEAD(OCDとする)のネタバレである。OCD 中の不自然だった描写やセリフの謎がここで明かされる。予定通りにはいかなかったものの、無事生中継である OCD を放送できましたというお話。

最大のお楽しみはエンドロールにあった。ここではOCDという映画を伝える役割を担っていたカメラAの活躍を見ることができるほか、このおまけメイキング映像をとらえていたカメラCの存在をも知ることができる。

OCDという作品を、視聴者と製作者という2つの視点で観られる面白さの裏には、OCDを2つの視点で演じ、撮影するという複雑さがあり、監督、役者さんともに大変だったのだろうなと思いました。